学び

言語習得から「幼児・小学生の学び」を考える

「学ぶとは?」の問いに答えることはとても難しく、正解はありません。しかし、教育の関わるものとして、考え続けることは必要です。

何かを学んだり習得するとき、その概念を理解することがとても大切なことは、当然のことと言えるでしょう。一方で、そもそも概念とは何かということさえ明確に答えることは難しく、学ぶとは?理解するとは?と考え始めると、沼にハマってしまっています。

今回は、「言葉の本質」(中公新書)今井むつみ著、秋田喜美著、を読ませていただきました。言語という抽象的なことを習得するというプロセスは、概念を理解することと似ています。きちんと学んだことのない分野で馴染みのない言葉もあり、理解が間違っているかもせれませんが整理してみました。

「言葉の本質」

「言葉の本質」は、オノマトペとアブダクション推論を軸に言語を習得していくプロセスを科学的に分かりやすく説明してくれます。巨大な記号のシステムである言語をどのように習得するかという点を短く表現すると、「オノマトペを足がかかりに、アブダクション推論でブートストラッピングというサイクルを回して、言語を習得する」となるかと思います。

言語の本質イメージ

ここでのキーワードは、「オノマトペ」「記号設置問題」「ブートストラッピング」「アブダクション推論」です。以下、順番に確認していきます。

オノマトペ

「ワンワン」「コロコロ」「さらさら」「ワクワク」など、自然界の音・声・物事の状態や動きなどを音で象徴的に表した語をオノマトペと言います。「言語の本質-ことばはどう生まれ、進化したか」においては、『その語形・音声や非言語行為のアイコン性を駆使して、感覚イメージを写し取ろうとすることば』としています。

オノマトペの言語習得における役割については、『音が身体に接地する第一歩』であり、『音とそれ以外の感覚モダリティの対応付けを助けるオノマトペのアイコン性(音とそれ以外の感覚モダリティの対応付けを助ける)が言語という膨大で抽象的な記号の体系に踏み出した赤ちゃんの背中を押し、足場をかける』としています。

また、脳がオノマトペを言語記号として認識する(脳の左半球が反応)と同時に、ジェスチャーのような言語記号ではないアイコン的要素としても認識している(脳の右半球が反応)という点も興味深いです。

記号接地問題

人間は記号が身体あるいは経験と接地できていないと学習できないと言われ、言語という巨大なシステムを習得する上で、この「記号設置問題」をどのように解決するかがポイントとなります。

ブートストラッピング、アブダクション推論

そこで、「ブートストラッピング」という、今ある知識がどんどん新しい知識を生み、知識の体系が自己形成的に成長していくサイクルが登場します。ある重要な記号と身体との接地を、ブートストラッピングで成長させ、言語の巨大なシステムを習得していくということです。この成長過程で活躍するのが「アブダクション推論」という訳です。

アブダクション“推論”ですので、結論は正しいとは限りません。したがって、知識を創造する過程で間違い・失敗が起こることは避けられません。その間違い・失敗を修正していくことで、知識全体を修正・再編成します。このサイクルが言語習得には欠かせないということになります。

アブダクションは、帰納法に似た推論(結論が正しいとは限らない)ですが、帰納法との違いは、帰納法は「観察された事実の一般化を行う」だけであるのに対し、アブダクションは「(多くの場合)観察可能な事象から直接観察することが不可能な原因を推論します。

例)
朝起きると道路が濡れていた。
雨が降ると道路は濡れる。だから昨晩は雨が降ったのだろう。

朝起きると道路が濡れていた(事象)
だから昨晩は雨が降ったのだろう(原因)
道路が濡れていた理由は、雨が降ったこと以外にも「誰かが水をまいた」など、複数の理由が考えられます。「原因(仮説)」に何を当てはめるのかは推論者自身の創造力・閃きにかかっていると言えます。

言語習得から考える幼児・小学生の学び

体験を通して学ぶことの重要性

記号接地問題は、「人間は記号が身体あるいは経験と接地できていないと学習できない」という考え方です。言語の本質に書かれたいたことを踏まえると、全てのことを体験を通して学ぶことは無理があるが、体験を通して学んだことはそこから「ブートストラッピング」と「アブダクション推論」によって、知識の体系が自己形成的に成長していくことになります。つまり、実体験を伴った学びはより多くの知識を生み出していくことになりますので、抽象的思考が発達しきっていない幼児・小学生の学びは、大人の学び以上に「体験」が重要ということになります。

試行錯誤の重要性

ブートストラッピングサイクルで知識は広がっていく中で、アブダクション“推論”が重要な役割を果たしているということでした。推論ですので、結論は正しいとは限らず、その間違い・失敗を修正していくことで知識全体を修正・再編成します。これは平たく言えば、仮説を立て、行動し(体験し)、結果から修正するという「試行錯誤」とも言えるかと思います。

まとめ

体験(接地)を通して学んだことは、試行錯誤(ブートストラッピングサイクル)で新しい知識を生み出していきます。つまり、幼児・小学生にとっての学びとは、様々なことを体験すること(接地を増やすこと)、試行錯誤して学ぶ姿勢を身につけることの2つが重要なのではないでしょうか。体験は新たな知識を生み出しますが、その体験はどのように広がり、何とつながっていくかは誰にも予想できません。何に役に立つかは分かりらなくとも、少なくとも体験(接地)は何らかの知識を生み出していることは確かなことです。幼少期に経験した何気ない体験がきっかけとなり、その後の活動で他の知識とつながり、人生にとって重要な体験だったとなるもしれないのです。

最後に、寺田寅彦著『科学に志す人へ』からの引用です。

とにかく興味の向くことなら何でも構わず貪るように意地汚なくかじり散らした。それが後年なんの役に立つかということは考えなかったのであるが、そういう一見雑多な知識が実に不思議なほどみんな後年の役に立った。それは動物や人間がちょうど自分のからだに必要な栄養品やビタミンを無意識に食いたがるようなものではなかったかという気がするのである。